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【14歳の夏 脳出血発症】

お知らせ

【14歳の夏 脳出血発症】
2024.07.4

2014年6月30日 脳動静脈奇形による脳出血発症

第二の人生の始まり

その日は突然のことだった。
2014年6月30日。月曜日、1限の理科の授業が終わり、2限の体育の授業のことだった。
いつも通り体操着に着替え、体育館を7周走り、腕立て伏せ、腹筋、ジャンプなどのウォーキングアップを済ませ、ラジオ体操をしているときだった。
右半分の視野が突然消えたのだ。それと同時に、理科の時間中にあった頭痛もどんどんひどくなる。
「ラジオ体操が終わったら先生に言って休もう。」そう思っていたが、そんなことは無理だった。

すぐ痛みの限界に達した。もう我慢の限界だった。「その場で立っていられない。」直感でそう思った。

ラジオ体操を抜け、保育室に行くことを先生に伝え、保健室へ向かった。なんとか保健室にたどり着いた。

しかし、不運なことに先生が不在。鍵が閉まっており、中で寝ることができなかった。

「誰かに今の現状を伝えないと。」2階にある職員室に行くことにした。
しかし、もう頭の痛みは限界を越していた。階段を登るが痛みのあまり、もう立っていられない。呼吸は荒くなり、何も考えられない。

その場で、倒れてしまった。もうこのまま、動きたくない。もう動けない。。。


しかし、このままここで倒れていたらもう死ぬと悟った。(授業は始まったばかり、教室を移動する人は少ない。)階段を這って登り、なんとか職員室についた。
もう話せていたのか定かではないが、必死に頭が痛いことを伝えたのをおぼえている。
そして私はすぐ床に横になった。周りの景色、音、全てがよくわからない。

ただひたすらに頭が痛い。今まで味わったことのない痛みだった。

痛すぎた。我慢も何もない。今ある痛みに耐えることで精一杯だった。たまらなく痛かった。もう、どうにかしてくれ。「もう早く気を失わないかな。」そう思った瞬間意識を失った。


脳出血発症。
救急車で新潟市民病院へ搬送され、緊急手術。

手術は10時間にも及んだ。
両親は医者から、「最善を尽くしましたが、覚悟はしておいてください。」そう言われたそうだ。

父、母はとても動揺したことだろう。学校の先生、親戚も来てくれたそうだ。

意識を失い一週間が経ち、私は意識を取り戻した。
しかし、その時の記憶は私には無い。脳がパンパンに腫れて意識は朦朧としていた。

自分が自分ではなかった。大声を出したり、暴れ回っていた。枕カバーは噛みちぎり、威嚇し、ご飯は喉を詰まらせるのではないかと心配するほど勢いよく食べていたらしい。

病院を脱走した事さえあった。せん妄がひどかった。

その時のことを私はよく覚えていない。
その期間は長い長い気持ちの悪い夢の様なものを見ている様だった。

私が自分に戻ったのは約1ヶ月後の7月24日。

今でもその時のことは覚えている。

自分が自分に戻った日。
私の第二の人生の始まりである。